三匙

 


 いくら同じ顔の双子たって、性格は全然違う。弟はおとなしく、兄貴面したぼくの言うことを黙って聞くようなやつだった。
 世間では幼児を対象にした連続殺人事件の話で持ち切りだった。それも比較的近いところで起きていた。あちこちのゴミ捨て場に棄てられ、発見された遺体はバラバラで、どの子供のどの部分なのか、わからない状態だった。
 当時のぼくにはぴんとこない話だ。あたりまえだけれど、外で遊ぶ子供なんていなかった。事件発覚から二ヶ月以上、家の中だけで過ごし、いい加減飽きていた。幼稚園には通っていなかったから、遊び相手はソルだけだった。トモカは、お母さんの知り合いの子どもで、事件があってからきてなかった。トモカは幼稚園に通っているから、つまらなくないだろうなってうらやましかった。
 お母さんが買い物に出かけたとき、ぼくはソルに外へ行こうと話を持ちかけた。いい子ちゃんのソルは、「ダメだよ」と弱ちんだ。ぼくはソルがテレビに夢中になっているのを見計らって、そっと外へ出た。
 公園まで走り、すべり台の階段を一気に駆け上がった。てっぺんに立つと、太陽がやけに近く感じた。そでをたくし上げて、すべり降りた。すぐに飽きて、ソルと作った基地へと向かった。基地といっても雑草が生い茂ったところに作ったシンプルなものだ。木々や小石を拾い集めて、周りに敷いただけで、ソルとふたりで座ったらぎゅうぎゅうだけれど、ぼくたちには楽しいひみつの基地だった。ぼくはそこで、ひとりで遊んでいた。ここは基地だから安全だ、そんなふうに思っていた。
 どのくらいそこにいただろうか。
 パトカーのサイレンが聞こえ、急に不安になって立ち上がった。
 買い物帰りなのか、スーパーの袋をぶら下げたおじさんと、ふと目が合った。
「ぼく、ひとり? 危ないよ」
 おじさんは優しく笑った。
「おうちどこ? 送っていってあげる」
 おじさんは優しかった。
 けたたましいサイレンの音が通り過ぎていく。
「犯人……捕まった……ねえ」
 おじさんの言葉は、サイレンに虫食われてよく聞き取れなかった。犯人は捕まった、と聞こえたような気がした。
 強い風が吹いた。木が揺れ、若葉が千切れて雑草の波に飲み込まれていった。ぼくとソルの小部屋が垣間見えた。
「それは基地かい?」
「うん。ひみつだよ」
「おじさんもこの奥に基地があるんだよ」
 ぼくはよほど目を輝かせていたに違いない。
「くるかい?」
 ひみつだよ、そう言っておじさんは雑草の脇の細い道を入っていった。
 わくわくした。おじさんの基地はきっと大きくて、敵を惑わせるようなしかけがいくつもある本物の基地に違いない。ぼくはおじさんのあとについていった。
「ここだよ」
 見ると、普通の平屋だった。辺りを見渡しても、どこにも基地らしいものなんてなかった。ぼくはおじさんの顔を見た。もうおじさんには笑顔がなかった。おじさんはもう一度言った。
「ここが、おじさんの基地だよ」
 立て付けの悪そうな扉を横に開けて、ぼくは中に押し込まれた。おじさんの背後で鍵の閉まる音が聞こえた。
 遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。
 家の中はぐちゃぐちゃで、ゴミ袋がたくさんあった。つんとした異臭が鼻を突く。嗅いだことのないにおいだった。ごみ出しの日に、お母さんが持っていく生ごみよりも、もっともっとすさんだにおい。気持ち悪いにおい。
「帰る」
 振り向くと、おじさんが立ちはだかった。
「帰るんだー!! どけろ!!」
 騒いだぼくの口を、おじさんは手で覆い、塞いだ。 
 ヤニ臭い指をギッと噛むと、おじさんは無言で僕をぶっ飛ばした。勢いよく飛ばされながらも、テーブルの角がスローモーションのように目に迫ってくるのがはっきりと見えた。ぼくは目をギュッとつぶったけれど、角は的確に眼球をとらえた。あまりの激痛にからだじゅうがしびれ、意識を失った。
 薄れゆく意識の中で、ぼくはおじさんの虫食い言葉をはっきりと羅列していた。
「犯人に捕まったみたいだねえ」 





目が覚めると事務所のソファーにいた。
 トモカが寄りかかるようにして寝ていた。トモカの頭を撫でようと、伸ばした手を……裏返した。けれど、血のあとなどなかった。
 ぼくはどうかしちまったんだろうか。
 眼の奥が疼く
 ……痛ぇ
 眼の奥?
 ケガをしたのはソルだろ
 もやみたいなのがぼくをとりまく
 目を凝らしてよく見る
 肉……
 肉片?


 ニンゲンノチイサイユビ


 そうだ薬を飲んだんだ。
 飲みすぎたか……
 トモカが目を覚ましたら、また怒られるな。





「キル! 危ない!」
 メンバーに腕をつかまれて、ぼくは階段から落ちるのをまぬがれた。
「大丈夫か」
「へーきだよん」
「少し、休まないか?」
「もうライブ始まっちゃうよ」
「違う、少しバンド活動を休止しないかってことだ」
「ヤダよ」
「疲れ過ぎてる。前回はステージから落ちたし。ケガしなくてよかったけれど、このままじゃ」
「へーきだっつったろ」 
「だけど……キル……、目が見えてなくないか?」
「ぼくにはおまえのつぶらな瞳がよおっく見えてんぜ」
 ぼくはKiLとなってステージに上がる。
 なぜだ。
 ぼくはぼくでいられるからだ。
 ソル、おまえのことを考えなくてすむ。
 よどみのない真正なぼくでいられるんだ。そうして愛すべきミラーたちを、ぼくの血反吐で汚したい。
 わかってる、目が見えなくなっていることなんて。
 もうじき、ステージに立つことはできなくなるだろう。
 ギグを終えて、控え室の大きな鏡の前に立ち、ささくれた息を吐いた。
 疲れているだけなんだ。
 ソルはぼくを見て、
「時間がないんだよ」
 と言った。
「うるさい」
 ぼくはいらだちをこぶしに込め鏡にぶつける。鏡に亀裂が入り、分割したぼくが映った。ちょうどノックがして、返事をすると、蟻砂アリザが顔を出した。
「なんだ、アリスナか」
「器物損壊罪だぞ」
 そう言って蟻砂は、証拠品の損壊した器物を踏んだ。
 指先に垂れた血を舐めながらぼくは言った。
「きてたの」
「ひまだからな。今」
「バンド、本当に解散するの?」
 蟻砂は頷いた。
「わかってないよ。近くに居過ぎたんだ。光りがどれだけ悲しみを持っているのか。やがて溶けてしまう。掬えないアイスクリームみたいに」
「なにを言ってるのかさっぱりだ」
「じゃあ、クイズ」
「なんだよ、いきなり」
 戸惑う蟻砂を無視して僕は質問を投げかける。
「君んとこのボーカルのひとの一番好きな飲み物」
「炭酸だろ」
 違うね。
「めんどくせーな。シズクかよ。わかったよ、炭酸飲料だろ」
「クリームソーダだよ」
 蟻砂は疑っている。
「やっぱりね、近くに居過ぎると見えないの」
「おまえ、本当はユガのこと好きだろ」
 まさか。ぼくは笑った。
「天敵のおまえが、いつもユガを挑発するのは、裏返しなんだろ」
「天敵は、アリスナ。ぼくは相反する白を誰よりもわかってる」
「俺かよ」
 天敵は笑った。
「本当にそれでいいの? 後悔するよ」
「だから、進むんだ」
 ふうん。ぼくは悲しんだ。
「週刊誌の記者がきた。キルのこと嗅ぎまわってる」
「ぼく? マスタアドじゃあるまいし」
「……あの事件のことだ」
 鏡越しに蟻砂と目が合った。ぼくは首を振る。
「ぼくじゃない。ぼくの弟だ。弟が生き残ったんだ。なあ、ソル。あれ、さっきまでここにいたのに」
 ドコヘ行ッタンダ?
「キル、俺は真実が知りたいんだ」
 蟻砂はぼくの腕をつかまえた。
「真実? 真実ならソルが持ってる」
「ソルなんてどこにもいねえよ」
 ぼくは蟻砂の手を払いのけながら言った。
「おまえ、やっぱり似てないな」
「なに言ってんだよ」
「あの男に。あの男はもっと、情にしがみ付いていた」
 蟻砂が黙る。
 ぼくも黙る。
 ……待てよ。なぜだ。なぜ、ぼくはあの男を知っているんだ?
 フクシュウ……。
「復讐?」 
 ぼくのかすかなつぶやきを、蟻砂が復唱した。
「なあ、アリスナ。ぼくは誰なんだ?」
 祈流ナノカ?
 ぼくは蟻砂のかかとに踏まれた鏡の端を見つめた。
「……ソル。おまえ、どこに行ってたの?」
「キル?」
 蟻砂がぼくの名らしきを呼んだ。
 ぼくハ祈流ナノカ。
「ソル。アリスナが真実を知りたいって言ってる。教えてあげてよ」 
 割れた鏡に赤い眼が覗いて、ソルが返事をした。
『なにを言ってるの? キルもいたじゃない』
 ぼく?
「だって生き残りはひとりって」
『そうだよ。キルがひとり生き残ったんだ』
 え?





 思い出してよ、祈流…

 その眼の奥に焼き付けた映像を。