syrup_4
真夜中を踏む。
といってもまだ午後十一時八分。黒に浸 された世界で街路灯が幻想を夢見ていた。アスファルトが他人行儀の冷たさで俺を観賞している。知った町なのに初めて来たような居心地の悪さを蹴り上げた。ひとりでいることに慣れていない。いつもとなりにいるユガがいないせいだ。振り返れば、寂しげな俺の足跡が取り残されているのだろう。月は仲間行儀で優しく照らしていてくれるだろうか。空を見上げてみたけれど、どこにも見つけることはできなかった。
「おまえ、クビな」
空に言い渡して見回りを開始した。
途中、メイン通りを覗いた。象徴の提灯が思想を垣間見ている。いつもの賑やかなザッタ ランド。夜はどこへ行ってしまったのか。ミケが集まっている。ユガの姿を探すけれど俺のフィルターは感知せず。やつはどこへ行ってしまったのか。電話にも出ないし、メールの返信もまだない。
歩いていると汗ばんできて、袖を捲った。時計を見る。時刻は十一時半を過ぎた。風はない。異常もなし。オッケー。次は十字路を右だ。
「ぎゃっ!」
急に人が出てきて、俺の異常ある声がコダマする。驚いたのは相手も同じらしい。見ると、ボブだった。俺は安心しながら、
「脅かすなよ」
と胸を撫で下ろした。
すみません、ボブが謝り、シーズーでしたかというので、「シズク」だよ、と訂正した。
「発音が難しいです。でもシーズーは、かわいい犬ですよ」
「俺もかわいいよ」
と補正する。
「まあ、そうですね」
今さらだけれど会話が成立していることに気付く。ユガと英語で話しているのを何度か見かけて、日本語は話せないと思い込んでいた。
名前を聞くと、
「ノアrジオjクェkjlll」
と呪文を唱えた。
「ノアあr……」
真似ると舌を噛む。
「ノアでいいですよ。シーズーもパトロールですか?」
「そうだよ。ノアも?」
「はい」
「一緒に行く?」
俺は捨てられた子犬のような顔で返事を待つのだ。だってひとりは寂しいから。
ノアは「もちろん」と笑顔になった。
ようやく月が顔を出した。ナントカムーンでなくても月は美しかった。その繊細な影を、俺のシッポはきっと弄んでいる。
ノアのとなりを歩いていると、体が鍛えられているのがわかる。しなやかな強靭さは、ユガと似ていた。ノアの存在を知ったのは、去年のクリスマスイブ。半袖のシャツを着ていて、やけに目立っていたっけ。
「ユガと仲いいよね」
と、探ってみる。
「まあ、長い付き合いですね」
「そうなんだ」
「また会うようになったのは久しぶりです。連絡は取っていましたけれど。身長が私より大きくなっていたし、ずいぶん変わっていて驚きました。昔はとても小さかった」
俺が出会ったころのユガは、すでに身長が高かった。それ以前からのユガの知り合いってことか。
「彼は今、不烏 に行ってるから、こういうときこそ、ちゃんと町を守らないとですね」
ユガが不烏に? 俺ってユガのことなにも知らないんだな。兄弟なんてこんなものかとも思う。侵入者を拒むように建つフェンスの向こうが不烏町 だ。退廃した町のように不気味な雰囲気が漂っている。俺は立ち止まり、その異質な色を嗅いだ。
赤い匂い。
知っている。遠い記憶なのに鮮明に。