syrup_5




 赤が記憶を攪拌して、俺を苦しめる。思い出すだけで心が軋む。
 俺は親父の餌だった。泣き叫ぶ俺に連動して、初めのうちは妹のなな子も泣いていたけれど、俺もなな子も慣れというか、どうでもいいことに変わっていった。心を失くさないとどうにかなりそうだったから。
 しばらくしてユガがやってきた。親父が言うには、ユガの母親に男がデキて、ユガの存在が邪魔だと置いていったらしい。
 親父と俺の行為を、ユガはまるで映画を鑑賞するように、お菓子とジュースを持って見ていた。時々その口端が薄ら笑うのを、俺は親父の腕の中から垣間見ていた。ユガの中には狂気が棲んでいるのだと俺は思った。
 ある日、ユガは、泥酔して寝ている親父の布団にタバコを放り投げた。火は瞬く間に燃え広がり、親父と家を包んだ。親父のタバコの不始末ということで事は片付いた。
 俺は父さんの遺骨を抱いてユガを見た。ユガは優等生のような顔付きで立っていたっけ。




 目が覚めると、ノアがいた。近くてデカくて近い。俺に気付くなり「シーズー!」と嬉しそうに笑った。
「おはよう」俺はのんきに挨拶をした。どうしてノアが俺の部屋にいるのか不思議だった。まだ夢の中なのかしら。見ると、ユガが窓際に立っていた。どうしてか、劣等生の顔付きで。
「おはよう」
 ユガに挨拶をしたけれど、返事はなかった。いつものユガだ。だとしたらこれは現実だなと理解。そして、ここは病院だと気付いた。
「シーズー、犯人は捕まえました。ただ、あなたは無茶をしすぎました。打撲と腕のやけどで済んだからよかったですよ」
 やけど? 言われてみたらナルホドイタイ。
 そうか。放火現場に遭遇して、ノアは犯人を追いかけて、俺は消化しようとしたんだ。でもすごかった。火の勢いがゴゴゴッって。すぐにバーッて燃え広がった。無理だ逃げよって。そしたらさ、上からバリバリッて音がして天井がガッッシャーーンて崩壊した。俺はオノマトペの下敷きになって、そこからの記憶はない。
 ユガは俺の説明を聞いたあと、ひとこと「バカ」とだけ言って部屋を出て行った。
「めちゃくちゃ心配してたくせに。泣きそうな顔をして」とノアが言う。
「そんなはずないよ。いつだってユガはクールなんだから。完全無欠なんだ。でも、ユガには狂気がひそんでいて、少し怖いときがある」
 わかってないね、ノアくん。と優位面した俺に対してノアは「君こそわかってない」という表情をしていた。
「彼にひそんでいるのはシーズー、あなたですよ。唯一の良心。彼が言うには、水飴みたいなかったるいもの、だそうですけれど」
「みずあめ?」
「シーズーになにかあったら、彼は、平常ではいられなくなるでしょう。あなたのためなら手段を選ばない、たとえそれが反道徳的だとしても」




 腕時計が壊れていた。誕生日にユガが買ってくれた大事な時計。ユガは最新式のデジタルをすすめたけれど、俺はアナログがいいって言った。音がするやつ。時を刻んでいる音がするやつ。
 となりにユガがいて、音に浸っていると、一緒に時を刻んでいるような気がした。
 針は十二時三分二十秒を指して止まっている。
 仕方なく新しい時計を買った。秒数がデジタルで脳内に入ってくる。ピカピカ光ったそいつが体中を攪拌して俺を楽しませるのだ。デジタルも意外と悪くない。
 あと一分十六秒。もうすぐ、マルゲリータ・ピザが出来上がる。リビングにはユガと蟻砂アリザがいて、俺の餌付けを待っている。
 ユガは歌を口ずさんでいて、機嫌がいい。
 デザートのメロンはノアからの差し入れだ。俺は甘くない、と言い、蟻砂は甘すぎる、と言った。
「ドッチデモオナジ」とユガは判定を下さぬまま、味覚の無い舌でメロンを飲み込んだ。喉仏はたんなる通過点。その先に蓄積している甘さを、神は知らない。