syrup_2


 

 孤独な月が浮かれている。孤独なくせに優雅に輝いて、孤独な俺を憐れむ。すぐにでも空に墜落して同情したいほどに、月影は哀しすぎた。
 俺にはもうユガを止めるすべがない。次第にユガが俺から剥がれていく。俺を壊し、俺は壊れかけのまま。
 それとももう。
 完全にイカれちまったのか。虚像の渦の中で俺は思う。ユガの作り上げた皮膚は憎しみの成果なのか? 難解な綴りを肌の奥まで埋め込みインクの染みを舐め、味を確かめることなく飲み込む。その喉仏は単なる通過点。ユガの舌の味覚はとうに役割を終えている。削いだ舌では何も感じることができないだろう。インクの苦味と添う俺の心も。


「もう、やめる、バンドも店も弟も全部」
 絶賛兄弟喧嘩中だ。といってもキレているのは俺だけ。起こされて機嫌が悪いんだ、俺は。
 ユガの目が俺を刺す。
「仮説的なことは言うなよ」
 そう言ったあと「機嫌が悪いのは毎朝だろ」と、俺を黙らせた。
 俺は拗ねて空を覗く。なるほど、月はもう姿を消していた。一緒に見たかったのに。キレイなナントカムーン。
 ベッドヘッドに置いたタバコを手探りで捕まえ口端に押し込むと、ユガはライターを点け、俺のくわえたタバコの先端を焦がしてから奪い取った。いつもはタバコを吸わないユガが、こんなふうにタバコを口にするのは、俺にイラついているのだろう。ユガの指先がリモコンを掴むと同時に、エアコンが浅い音を響かせた。冷気を排出するのを確認して、用済みリモコンを俺の腹の上に葬る。
「シズクは俺の弟でいたくないってわけ?」
 ユガの排出する煙が憎たらしい。
「そうだって言ったら?」
 俺は挑発するように言って、ユガ思考を請う。
「俺らは家族だ。それ以上でも以下でもない」
 ユガの言葉に、「家族ね」と、俺は首を傾げ笑った。
「なにがおかしい」
 ユガの視線が俺を蔑んでいる。
 その家族を殺したのは誰だよ、俺はユガから目線を外して呟いた。
「じゃあ餌のままでよかったっていうのか。あのままだったらあの男に殺されたのはおまえのほうだろ。それとも炭にしてほしかったか? あの男と一緒に」
「そうだよ、俺も炭にすればよかったんだよ」

 そうすればこんなに苦しむことはなかった

 やり切れなさを吐き捨てた俺を視界から除外して、ユガはタバコを吸う。嫌な沈黙の上に煙が漂う。
「……なにがあった? らしくねえよ」
 ユガは普段、感情を剥き出しにしたり、言葉を荒げたりしない。
「俺もそう思う」
 そう言うと、俺の口元にタバコを戻し、部屋を出て行った。
 フィルターに残された湿り気に翻弄されている。ユガが完全に俺から剥離したような気がしてならなかった。
 腹の上に残されたリモコンのスイッチを切る。まだ梅雨もきてないってのに。不条理な天気と、ユガの纏う冷気にタバコの先を押し付けたくなりながら幻滅する。吐いた煙がエアコンの余韻に浸り、ユガが開け放したドアの向こうへと流れていった。