夢見る鼻血_5
「この先にアーケードがあるからそこを左に曲がって」
左。はい。
「大通りにぶつかるのね」
はい。
「そこで振り向いて」
振り向いて。
「見上げる」
雲が、茜色に染まってた。
「蝶を見たくて迷子になる子、初めてだわ」
お茶屋さんのおばさんはずっと笑ってる。
「このお茶、美味しいですね」
あたしは話をそらすようにカップを傾けた。
蝶の場所を聞いたら縁台に座るようすすめられて、お茶を飲んでいた。お団子も勧められたけれど、もうすぐライトアップが始まりそうだったから、またくることを約束してあとにした。
夕方のうつろいは、アーケード街の鮮やかな照明に打ち消された。暗がりを歩くよりは安心なはず。
……のに。
すぐに不安になる。人が道を占領するようにあふれていた。あぐらをかいて座っている人もいる。誰もが黒い服を着ていた。自分たちの世界しかないように騒いでいる。
ロックファッションというのだろうか。派手な髪色と、派手なメイク。大きな穴のピアスと、首もとに彫られたタトゥー。
怖くも感じて、回り道がよぎったけれど、また迷子になる気もするし、もう時間もないから進むことにした。
ライブハウスのネオンがチカチカしてる。
今まで、ロックとかバンドとか、かけ離れたところにいた。流行りの歌謡曲は聴いていたけれど、学校の友達に合わせていただけのような気もする。ここにいるひとたちは、本当に楽しそう。自分の好きなものと向き合っているっていうのが伝わってきて、少しうらやましくも感じる。このひとたちにとって、薄ピンクのジャケットはきっとチカチカしているだろう。
あたしのチカチカジグザグな痕跡が、人と人に挟まれて戸惑っているはずだ。ランチに食べたサンドウィッチを思い出す。ハムになった気分。
「あ。レタス」
ふと、もうひとつの具材を見つけた。緑ではなくグレーだけど。スーツの後ろ姿はとてもよく目立っていた。レタスは慣れているようにすっと歩いていく。
「待って」
あたしはつぶやいていた。パパだ。
見失いそうな後ろ姿を見て、初めて寂しさを感じた。勝手に消えたひとなのに、あたしを置いていってしまったひとなのに、会いたい。
どんどんパパが離れて、どんどんあたしが取り残されて……またひとりになってしまう。そう思った瞬間、気付いたら地べたにいた。まるで穴の中に落ちたような感覚がした。
誰かが立っている。見上げるとアーケード街の照明でよく見えない。そのひとはしゃがんで、あたしを見た。青みのある瞳。レイだと思った。時が止まった気がした。大人になったレイがいる。唇にはピアスがひとつ。
ハナ……
レイはつぶやいた。
「鼻血」
シャツの袖があたしの鼻を塞いでいた。白いシャツが赤く染まっていく。なにが起きたのかわけがわからなかった。
そうか、あたし、誰かにぶつかったんだ。
「ちゃんと並んでって言ってるよね。約束守れないなら帰って」
大きな声で注意しているひとの腕には、タトゥーが隙間なく彫られていた。
「シズク、テッシュちょうだい」
「あいよ」
タトゥーのひとはシズクというらしい。
「はい、ユガ」
受け取ったひとの名前だ。
「ごめんなさい。あたしがよそ見していたから」
「こっちが悪いから。ごめんね」
そう言って、ほほ笑んだ気がした。レイじゃないとわかっても、ドキドキが止まらなかった。きっと鼻血のせい。落ち着いてきたら急に恥ずかしさが増してつらくなる。あたしに今必要なのはテッシュだ。