夢見る鼻血_3



 
 見られていた。


 店の前にあるベンチに座り、じっとこちらを見つめている。

 掃除のときも。
 ディスプレイするときも。
 カウンターに案内するときも。
 ブレスレットを包装しているときも。
 写真を頼まれて一緒にポーズとるときも。
 
 あたしの一挙一動を監視している、
 白い、猫。
 
 
 
 気付いたら仕事に集中できなり、相談してみると、ユガさんは目線を外へ向けた。

「すずめ」

 あたしも外を見る。
 どこにもすずめは見当たらない。

「猫です」
「あの猫の名前がすずめ」
「すずめ、ですか」
「確かにずっと見てるな」
「そうですよね」


「おもしろ」


 冷血。
 と、ファンに言われるほどクールなユガさんが笑ってる。マスタアドのボーカリストであり、この店のオーナーでもある。必要以上にお店に来ることはないし、会話も挨拶程度で、なにより誰も寄せ付けないような雰囲気を持っているから、会うのはいつも緊張する。弟の店長とは対照的だ。
 その笑みに、あたしの心が揺れる。

 朝早く、ユガさんから電話がきた。店長がケガで入院するから、一週間休業する、という連絡だった。店長はきっと休みにしたくないだろうなと思い、お店をやらせてほしいと申し出た。まだ一か月程度の見習いだけど、ひと通り教わっているので、こなせる自信はあった。
「俺も手伝う。ほかに仕事があるからずっとはいられないけれど」と予想外の返事がきて、今、妙なプレッシャーに苛まれてる。
 ひとりで営業すること、ユガさんと一緒なこと。
 そして白猫の視線。


「面白がらないでください。余裕ないんです」
 むくれたあたしに、ユガさんは、
「オーケー、サム」
 と言ってドアを開けた。

 まただ、と思う。
 あたしはいつもユガさんに、レイの姿を重ねてしまう──。

 猫がいなくなり、ユガさんは言った。
「合格だって」
「なにがですか」
「仕事、見習いだったんだろ。合格ってすずめが言ってた」
「すずめ……
   ……さんがですか」
「知らない? 夢見でファッションアイコンだった人。経営力もすごかったんだ」
「ちょっと勉強不足で……」
 前言撤回、人をからかうところ、やっぱり店長と兄弟だ。
「見られることに慣れるといいよ」
「そうですね」
 あたしは頷きながら、畳んだ服を並べる。
「この店のアイコンになると思ってるし」
「あたしがですか……痛たたっ」
 思い切り驚いた拍子に、頭をハンガーにぶつけた。
「そうだよ」
 笑いをこらえながらユガさんが返事した。誰よ、冷血って言ったの。
「自信ないです」
 そこまでの覚悟で就職したわけではなかった。店長にやってみない? と言われて、好きなミュージシャンのお店だったし、浮かれていた。 
「シズクが一人前って言われたの、二年かかったから。それに俺はいまだにダメなんだって」
「すずめさん、厳しいですね」
「楽しんでくれればそれでいい」
「楽しいです」
 ユガさんがまた笑顔を見せた。
 あたしの余裕がゼロになる前に、深く呼吸をした。

 見られることに慣れる、か。
 
 掃除をして。
 ディスプレイして。
 カウンターに案内して。
 ブレスレットを包装して。
 写真を頼まれて一緒にポーズをとる。
 
 お客様をお見送りして。誰かに見られている気がするのは変わらない気がした。
 もうベンチにすずめさんはいなくて、それでも視線を感じるのは意識したせいなのかもしれないと、結論付ける。
 迷子のあたしはどこにもいない。

 ただ、心がこんなに揺れるのがあたしには悲しかった。