まだ未ぬ時刻(とき)2
借りるね、
ネガに断りを入れて、雑誌を片手に台所へ向かう。冷蔵庫を開け缶ビールを持って振り向くと、ネガの奥さんがいた。音楽イベンターとして精力的に働き、多大な影響力や発信力があるらしく、結婚と引退を発表したとき、コンベア解散よりも惜しまれたという。「まじで狩られるかと」とネガが焦るほどだった。ヒルダと呼ばれ、体格もよく、豪快な人だ。僕は、熊を倒すのはヒルダしかいないんじゃないかと思っている。
ヒルダは仁王立ちで、
「カナの分のご飯ないよ」
とからかう。
「いーよ、これで」
とビールを掲げる。
「夕飯にみんなが揃うのは久しぶりだから、カナの好物作るね。楽しみにしてて」
にっこり笑いそう言うと、僕の手からビールを取り上げ、変わりにキャラクターが描かれた子供用のりんごジュースを収めた。おやつをおあずけされ、すごすごと階段を上がり、おとなしく部屋へと入った。今や城石家の主だ。父親でさえ、ヒルダにはかなわない。ことあるごとに「ヒルちゃん」を呼び、お気に入りだ。
りんごジュースを飲みながら雑誌を手にした。……が、ズーズーという擬音語とともにすぐに空になった。甘い後味に、懐かしさと物足りなさを感じる。パッケージを彩るキャラクターが、対象年齢を大幅に上回った大きな子どもに企画的な笑顔を向けていた。ヒーローは健在であることに安心し、再び雑誌と対面する。
アイドル雑誌と見間違うほどに、ユキの笑顔が眩しい。笑顔は楽しさが伝わってくるほどだ。
本屋でざっと目を通していたので、次のページに“ケイ”がいることはわかっている。捲ろうとしたそのとき、携帯電話の着信音が邪魔をした。
「俺」
ケイを遮ったのは計太本人だった。
「今東京に帰るとこ。そっちはどう?」
「なにも変わらないよ。どうしたの」
雑誌の中のユキと目が合う。
「ん、その……そろそろ気付くいているころだと思って。ずっと言わなくちゃとは思っていたんだ。でも俺もまだ人にちゃんと説明できるかどうか自信がなくて。まだ事実として受け止められないというか。まだ……」
珍しく、いいわけめいた言葉を並べる計太から事の深刻さが伝わってくる。僕は計太の話の途中に邪魔をした。
「いい笑顔だね」
計太がふっと笑んだのが聞こえた。「そやろ」聞き取れないぐらいの声で肯定したあと、計太は言った。
「ポスターや雑誌のこと、前もってココには言ってあるけど……まだ無理。まだユキに関することすべてを受け入れられないでいる」
「そんなこと言ったって、嫌でも目につくよ」
「そうなんだけど。事務所にもまだ早いんじゃないかって言ったんだ。まだ一年しか経ってないんだぜ。だけどもう一年なんだよな。ファンのためにも前を向いていけるようにって言われて、そうかもなって納得もした」
「もしかして、ココがこの前仕事休んでたのって……」
「そ。嫌がるのを無理に聞かせた」
「カナに電話する前、ココにかけたけど繋がらなかった」
「今日は予約で忙しいって言ってた」
「なら少し安心か」
切り出すように計太は言った。
「本当はあんな仕事やらせたくない。だけど、仕事をしているときは、以前と変わらないココだから、つい……。とりあえず、帰ったらまた連絡する。ココから目を離さないでいてくれ」
「わかった、仕事が終わるころ電話してみるよ。ただ、もし、そういう場面にあったら僕はどうすればいいんだろ」
自信がない。ユキの笑顔に勝てる気なんて全然しないし、僕になにかをできる気もしなかった。
ドドドドド(ドドドド)
と、二重に階段を駆け上がる音がして、
ドン(ドン)ドン(ドッ)
と雑にドアを叩き、甥っ子たち双子の波が押し寄せてくるのを感じた。こちらの都合など構わず扉は開く。
『ご飯だよー!』
ピッタリ合った声が計太にも届いて、話は終わった。
みんなが揃うのは本当に久しぶりで、テーブルの上には僕の好きなものばかり並び、誕生日でもないのに並んだごちそうに、甥っ子たちは「おめでとう」「おめでとう」と僕を祝った。「別になにもないよ」そう言うと、
「なにもなくても、こうしてみんな向かい合って食べれるのは嬉しいことだよ」
とヒルダが言った。
「じゃあやっぱりおめでとうだね」
「おめでとうだね」
『ね』
甥っ子たちがいれば、喜びも倍になる。確かに、こうしてみんなで向かい合えて同じ時間を共有できるのは貴重なことなのかもしれない。