夢想のストリングス3
「カナはカラスになって、檻の中にいるとする。扉を開けられて、さあ、カナカァは自由だよ、って言われたらどうする?」
「飛ぶと思うよ」
 僕は特になにも考えず、そう答える。
「餌の捕り方も知らないのに?」
 レイは僕のことを一瞬見てから、ポケットからガムを取り出し、ノアに渡した。
 なんとかなるんじゃない?、そう言うと、レイはそうだね、カナカァはそれでいいんじゃない、と言いながら僕にもガムを配って、話は終わった。心理テストではないらしい。
「レイカァはどうなの?」
「俺は飛ばないよ」
「なぜ?」
 と疑問をぶつける。
「俺はまだ、飛べない。鳴くすべすら知らない。未完成のまま堕ちればそこには死しかない。だから待つんだ。知能も身体も最大限になるまで」
 そう言うと自分の分のガムを口にして、
「そのほうが俺には面白い」
 と理由を述べた。
 手のひらのガムを見る。外国製の包み紙。僕もガムを噛む。嗅いだことのない匂いと、食べたことのない味。甘過ぎるほどの甘さが広がる。
「え、なにこれ! 辛っ!」
 甘味はすぐに裏切り、舌が痺れるほどの辛さに驚く。僕の過剰な反応にふたりは笑っていた。
「知らない世界はどんな味がする?」
「そう甘くはないね」
 レイは、自由なんてどこにもないんだよな、と自分に言い聞かせているようにつぶやいた。
「カナの思う自由ってなに?」
「そうだな……。自分を確信できたら、それが自由かな。たとえば、計太。だからかっこいいんだと思う」
「俺は、この不自由な檻の中で自由を探すよ。カナは、カナがいたいと思う場所で生きればいいんだよ」
 そう言って、レイは、ガムをひと箱差し出した。
「あげる。城石家に懇意にしてもらってるお礼」
 箱にはSINと書いてある。よく見ると香辛料の辛という文字が迷路のようにデザインされている。英語と中国語と日本語と。まるでヨムの町並みだ。
「俺の育ったところは、治安なんてない。朝から銃声が聞こえるし、死体があるのも珍しくない。子どもたちはみんな飢えてる。このガムでさえ手に入ったら、わずかな自由を噛むんだ」
 面白いという言葉は、楽しんでいるだけではないのかもしれない。戦うために、そして、強くなるために、完全でありたいという思いが奥にあるのかもしれない。
「そんなところなのに外に出たやつらはみんな帰ってくる。ガムだって日本のほうが絶対に美味いのに、結局このガムに戻る。道路の死体が明日は自分かもしれないのにな」
「慣れてきた」
「辛さで麻痺してんだよ。……麻痺、か」
 レイはなにかを考えている。
「俺いい方法を思いついた」
「なに?」
「ココを城石家に連れてっちゃえばいい」
「うちに? ココには負担になるんじゃないの」
「それを中和できる人がいる」
「子どもたちかな。甥っ子は双子だから思い出させちゃうか……でも逆にいいとか」
「ココは子ども好きだからアリかもだけど違う」
「ネガじゃないよね」
「違う」
「誰?」
「ヒルダ」
 ヒルダ?
「あの人のコンサルティング能力は完璧。ネガの嫁にしておくのはもったいないくらいだよ。でもヒルダとネガ、ふたり合わさるともうプラスしか生まれないからなあ。覚えておいて、ヒルダ最強説」
 確かに、厳格な父親がなにも言わなくなり、にこにこして家事まで手伝うようになった。母親も自分の時間ができて、ヒルダに勧められ趣味を見つけ、生き生きしているのがわかる。姉の子どもの面倒見もよく、子どもたちもすっかりヒルダになついでいる。近所付き合いもうまく、商店街にとっても欠かせない存在となっている。
「じゃあさ、ふたりのあいだに生まれた子どもって……」
「そうかも、将来はヒルダの子が無双だね」
 見慣れた渋谷の光景が見えた。バラードが流れ、サビに入ると、ノアが歌い出した。結構上手くて聴き入った。レイがハモり、ふたりの歌声に酔いしれた。なによりも歌っているときのレイは楽しそうだ。間奏に入り弦楽器の音色が響く。
「俺、いつかあの場所を変えたいんだ。ガムじゃ空腹は満たせないからな」
「できるよ、レイなら」
 レイはこれから先も、こんなふうに人を魅了していくのだろう。
 在るべき場所で、僕は有りたい。